院長の図書室

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女性は自分らしく生きるために、「私らしいお産」を目指します。

助産師はそれに共感し寄り添い、医師と社会は医療として後方から支援します。

女性は、お産を通して自己に目覚め、他者の温もりを知ります。

そして、社会の構成員を再生産するとともに、誰もが支えてとなる共同体意識で社会へ還元するのです。

そんなお産をめぐる女性の物語について、医療情報とは違った視点で話を集めてみました。お気軽にお読みください。

目次

産後の生活をイメージするために

分娩の立ち会いについて

産後サポートの重要性

お産をめぐる社会環境の変化、出産するお母さん自身の変化が、産後の問題を浮き彫りにしてきています。現在、この問題へのアプローチとして、産後支援の重要性があれこれと喧しく、自治体も交えた支援の取り組みも始まりました。

なぜ、産後の問題を考える必要があるのか。これから母になる女性が、産後の生活を知る機会が少なくなっているからです。女性は産後の心身の変化を経験し、思いもかけないほど不安定な状態で産後の生活を迎えることになります。生活環境の変化にも晒されます。子供との日々の生活は待ったなしです。さらに、都市近郊の核家族では、お母さん一人でその対応に追われ、問題をより深刻にしています。

 

 産後の生活のイメージを考える

そこで、今回、産後の準備として、産後の生活をイメージして、計画を立てることを皆さんと話し合いました。

なぜ、前もってイメージが必要なのか。それは、知らないものには、不安、恐怖の念を抱きやすいからです。産後の生活を不安な気持ちで迎えないように、前もってイメージしておこうという試みです。

ただし、特定の要素にこだわってイメージを持たないように注意します。計画が思い通りにいかないとき、そして、選択肢が少なくなったときにも追い込まれないように配慮しておきます。まずは自分のこと、自分らしさを、イメージ創りの原点にして、広い視野をもって計画することを提案しました。

 

 産後の生活のイメージの作り方

イメージづくりには、産後の生活についての情報収集が必要です。まずは、信頼できる人から、直接情報を集めるようにします。具体的には、助産師、ママ友のような信頼できる人からの情報収集から始めます。インターネット検索は、自分にとって都合の良い情報ばかりを集めてしまうことになるので、お勧めしません。人と触れ合う会話から、これは自分のことなのだと、しっかりと感じたものを集めます。理想を求めるうちに、他人の価値観に惑わされることがないように注意してください。自分らしさを失わないことが大事です。

また、理想のイメージを求める時、どうしても現実から目を背けがちです。しかし、逃げることなく楽をしないように心がけます。痛みも苦しみも身近なものとして受け入れるイメージも必要です。あなた自身のものであるという個別性、今のあなたにフィットしているという同時代性、柔軟に変化する力があるという可塑性を併せ持ったイメージを探します。

そういうイメージができたら産後の計画を立てます。その際、計画の具体性にこだわる必要はありません。臨機応変に対応できるレベルの計画でよいでしょう。

 

産後のあなたは変化を遂げている

お産では、産みの苦しみに直面するかもしれません。その中でもがくことになるかもしれません。しかし、その経験はあなたを内側から解体して、新しいスタート地点に立たせてくれます。そこには全く予期しない感動が待っているはずです。真摯に苦難に直面すればするほど、感動は大きなものとなります。その感動とは、新しい命を家族として迎えた歓びです。だから、逃げないで欲しいのです。そういう経験を通じて、あなたは生まれ変わり、子供との新しい生活にしっかりと臨むことができるのです。

 

産後の生活に備えて心の器を用意する

産後のために準備するイメージと計画の要点は、心の器を用意することです。その中身はひとそれぞれです。産後の状況によって変わることが多いので、器の中身にこだわる必要はありません。ただ、出し入れがしやすいように、柔らかで大きな空の器を用意すればよいのです。

我が子を愛おしく感じ、一緒にいることに喜びを感じ、そういう日々をずっと続けていきたい。喜びをもって人生を生きるとは、「誰と過ごすか」が一番重要なことです。産後の生活をイメージして計画するとは、そのような生活のイメージがすっぽりと収まるような心の器を準備することです。


 

      本稿は2019年9月21日「院長と話しませんか産後の生活をイメージ』」の内容からまとめました             

 

夫に「手伝うよ」と言われて、ムカついている貴女への処方箋

分娩の立ち会いについて

子育て、”独り”で抱え込んでいませんか?

子育てで一人ぼっちになっていませんか。それでは育児が辛くなるだけです。そんなときは、赤ちゃんを預けてゆっくり休むのも大事です。母親が休むためのサポートを求めるのは、当然の権利です。さっそく育児を手伝ってくれる人を探してみましょう。

そうです。近くにいますよね。赤ちゃんの父親、あなたの夫です。しっかりと、彼に手伝ってもらうことにします。

 

産後、子育て期 理不尽な不機嫌なのは分かっているが

 でも、夫に手伝いをうまく頼めない人、多くないですか。妊娠、出産から授乳期は、          ちょっとした夫の一言でも不機嫌になりがちです。理不尽な不機嫌であることは自分でも分かっているけど、夫にこの気持ちが素直に伝わらず、つい夫と距離ができてしまって手伝いが頼めないということありませんか。結局、子育てをひとりで抱え込んで、一人ぼっちになってしまう。

 そのままではいけません。是非、彼に手伝ってもらいましょう。

 

母(妻)と父(夫)の性差を知ることが大事

 夫との子育て生活をうまく送るための第一歩は、母(妻)と父(夫)の性差を、まず、知ることです。女性はお産を体験して、心身ともに変化を遂げています。子供とのスキンシップ、授乳の吸啜刺激でオキシトシン分泌も増えて、生理的にも変わっています。しかし、男性はなかなか変われません。分娩を立ち会い、涙して子供を抱いたとしても、女性ほどには変われないのです。

 男女の差をまとめると、女性は共感欲求が高いことにあります。まずは自分の心根を、そばにいる人に分かってもらいたい。「そうだね」の一言が聞ければ、ストレスも軽減するのです。問題解決は、そのあとからでよい。この間の置き方が男にはわからない。

 男性は問題解決に直線的で、行動の動機は単純で拙速に事を運びます。だから、つい「言ってくれれば、やったのに」と言ってしまい、妻の顰蹙を買っているのにもかかわらず、その事にまったく気がつかないのです。

 

妻はしっかり言葉で伝える、夫は話をよく聞く

 まず、妻は夫としっかりと話しをすることが大切です。「見ればわかるでしょ」と、情(涙)と態度(不機嫌)で訴えるのはNGです。自分が大変なことを伝え、夫にしてもらいたいことがあるのなら、しっかりと言葉にして伝えます。行動の動機が単純な男には、シンプルで具体的なお願い(命令)が一番効果的です。

 夫にはしっかり話を聞くことが求められます。「そうだね。」と、とりあえず妻を労わる間を作る。なによりも出産、子育てによる妻の肉体的・精神的負担を知ることが大切です。そのために、妻の話をよく聞くことが必要なのです。「だから、どうする。」と結論・解決を急ぐ必要はありません。「そうだね。」と聞いて、妻がやって欲しいことを話し始めるのをじっと待つのです。

 

産後の生活で大事なのは、あくまでも自然体で家族が触れ合い、新しい家族である赤ちゃんを加えた時間を大事に過ごすことです。双方ちょっとした努力を惜しまずにです。

 

      本稿は2019年7月6日「院長と話しませんかあなたは大丈夫?産後クライシス』」の内容からまとめました             

 

祖母になる 母のために

分娩の立ち会いについて

お産、子育てで大事なのは一人にならないこと そのための応援がしたい

  産前産後のサポーターとして一番期待されるのが母親(祖母になる人)です。産後の応援に来てもらったり、里帰りしたりと、母親にサポートをお願いする機会があると思います。ところが、そういう時に母親と娘の関係がうまくいかなくて、せっかくのサポートが成立しないという話を聞きます。

  原因のひとつは、親子ゆえに会話が少なく、言葉を用いてのしっかりとした確認ができず、母親の思いが娘に伝わらないことで、互いに衝突してしまうことです。もうひとつの原因は、社会が変化して、母親世代がしてきた出産・子育てスタイルが変わったことです。母親の価値観や子育てのやり方は、もう娘世代には合わなくなっているのに気がついていないことです。

 

母親(祖母になる人)に必要なチェック項目
  あなたの身体は大丈夫:
娘の応援、孫の世話はけっこうな重労働です。まずは自分の健康に負担をかけないこと、いままでの生活のペースを変えないことです。自分の仕事、親世代の介護と、負担が重なることもあるでしょう。だから、無理をしないようにします。

  あなたの常識は娘に通じますか:出産・子育ての価値観からやり方まで時代とともに変わってきています。世代間の子育て家族感の隔たりを覚悟しておきます。

  親子関係の見直し:娘は母になり窯変を遂げて、あなたが知っていた娘ではなくなっているかもしれません。子供扱いすると衝突の原因になるので注意します。

 

家族の中での物語を大切にします

  では、母親(祖母)は、子育てを支援する時、何から始めたらよいのでしょうか。是非とも娘さんの良き話し相手になって、寄り添い、共感することから始めてみてください。

  今の周産期医療は、知識と情報を重視したリスク管理に重きをおくようになっています。また、痛みを避けるお産も増えてきました。そのため、産む人の心をしっかり見て支える思いやりの環境が希薄になっています。また、社会の環境も、妊産婦の社会活動を温かく見守るには不十分で、特に子育てしながら社会復帰を望むには、まだまだ険しいものがあります。娘さんは孤独の中で悩んでいるかもしれません。このような環境で、娘さんが自分らしさを失わずに、勇気を持ってお産・子育てと進んで行くためには、家族の支えが大切です。つまり、家族の寄り添いと共感が必要なのです。

  美味しい菓子とお茶でも用意して、母(祖母)がしっかりと言葉に想いを込めて、家族の物語を語るとよいでしょう。ああしなさい、こうしなさいという話ではありません。わたしはあなたを産んで愛おしく感じ、あなたと一緒にいることに喜びを感じ、そのような日々を過ごしてきました。「何かをする」よりも「あなたと過ごすこと」が人生を生きていく喜びでした。そのような物語を聞かされれば最高ですよね。

 

母(祖母)たちは準備して待っていてくれます

  今回の会に参加いただいたお母さんたちは、娘さんを温かく見守り、いつでも手伝いができる様に備えていらっしゃいました。ちょっと距離を置いて、娘さんから声をかけてもらうのを、さり気無く待てる人たちでした。だから、もしヘルプが必要な時は、娘からしっかりと言葉にして、お母さんに相談してみて下さい。

 

      本稿は2019年6月1日「院長と話しませんか娘が親になるって、どういうこと?』」の内容からまとめました             

 

母と娘の関係を考える

分娩の立ち会いについて

母と娘の関係を考える 

「母と私の関係」に潜む問題

「お母さんに妊娠を報告した時から、お母さんとうまくいかなくなった」、そんな経験はありませんか。

お母さんの過干渉で、まだ子供扱いされて嫌だったとか、あれこれと言われたりして困ったとか、ありませんでしたか。妊娠・出産・子育てを経験すると、私の思いとお母さんの思いに、微妙なずれがあることに気がつくのです。

妊娠して気がつく「母と私の関係」に潜むこの問題は、身近で切実な問題です。だけど誰にも相談できない、それぞれの個人的な問題です。今回はこの問題を考えてみます。 

母になるとき、気がつくもう一人の私

哲学者オルテガは、「私は、私と私の環境」だと語っています。好きであれ嫌いであれ、ずっとつき合わなければいけない今の私がいます。それを作った私の環境とは何か。お母さんに育てられ、寝食を共にした、あのお母さんとの生活もその環境の一つなのではないでしょうか。妊娠・出産・子育てで自分を見つめ直す時、私の環境でもある「母と私の関係」が見えてきます。

お母さんに感謝したり、恨んだりと、お母さんに関わる思いは複雑です。でも、その思いはきちっと整理しなければ前へ進めません。なぜならば、結婚、出産、子育ては、新しい私の、私による、私のための独立宣言だからです。もう私は、お母さんの思う通りのいい子ではない、自立した一人の大人、そして我が子の母親なのです。 

変わっていく私と母

しっかりと自立した自分を目指して、あなたは変わっていきます。お母さんを頼らずに歩み始めます。出産、子育てに関してお母さんと話すときは、上下の親子関係ではなく、対等の横の仲間関係になります。そのため、お母さんとは適当な距離を置くことが必要です。共依存にならないように、一線を引いておくことも必要でしょう。  

この時、実はあなたのお母さんも変わります。あなたの自立は、実はお母さんの自立でもあります。孫育てを目論んでいたのに、娘の独立宣言で突き放されて気がつくのです。そうか孫の子育ての責任は娘にある。それぞれの人生、私も子離れして、私の人生を歩むべきなのだと。 

母を知り感謝する気持ち

出産、子育てはその時代の価値観、社会を色濃く反映します。私を産んで育ててくれたお母さんも、例外ではないのです。だから、出産・子育てについてお母さんの言うことと、今の私とでは違っていても当たり前なのです。お母さんを否定はできません。そういうやり方、考えかたもあったんだ、ということです。お母さんの考え、意見は、先輩の貴重な経験談と思えばよいのです。お母さんはお母さん、私は私と思えばよいのです。そういう貴重な話をしてくれるお母さんへの感謝は忘れないようにしたいものです。 

まず何をするべきなのか

私が自立し、お母さんとの関係を再構築するために、まず何をするべきなのか。それは、顔の見える距離で言葉を使ったコミュニケーションをすることです。

妊娠・出産・子育てには苦しい時もあります。どっぷりと悩むこともあります。そんな時、がんばっているのは、私一人だけではないと気づいてください。妊娠・出産・子育てというライフステージを同じくする仲間が傍にいます。彼女らと共感し、苦労や悩みを友達と言葉に出して分かち合いましょう。そうすることで得られた連帯感が、きっとあなたに勇気を与えてくれます

そして お母さんと言葉を使って会話しましょう。親子だから何も言わないでも分かっていると、高を括ると、思いもしないすれ違い、亀裂をみることになります。しっかりと言葉に出して話し合うこと、是非、心がけておいてください。私は、これからは「お母さんとの関係をポジティブに捉えて、あなたとしっかり向かい合います」と伝えてみてはどうでしょうか。 

最後に

もし、結婚してから実家を離れて、夫に子育てにと忙しくしていて、お母さんに無沙汰していたら、是非、言葉をかけてみてください。「私頑張っているから、お母さんもお母さんの人生頑張ってね」と、電話の一本でいいでしょう。きっと喜びますよ。      2019.2.5

 

      本稿は201922日「第5回 院長と話しませんか 『母と娘の関係を考える』」の内容からまとめました             

 

「母子供を産んでからやりたいことがほとんどできない」

分娩の立ち会いについて

産後の問題

 お産の瞬間、「おめでとうございます」という掛け声とともに歓喜に包まれるのが常です。しかし、「産後の生活は幸せいっぱい」は間違いという現実にも目を向ける必要があるようです。問題の要素は大きく3つ。一つは、環境的な要因の変化で、産前産後のリアルにうまく適応できず産後うつなどのメンタルに支障をきたす場合。二つは、産後2年間が最も離婚率が高い時期という産後クライシス問題。三つめは、一番影響を受けるのは子供たちであること。乳児虐待は私たちの心を一番痛ませる問題です。

 当院の産後のメンタルのアンケートに、「子供を産んでからやりたいことがほとんどできない」という項目があります。チェックされる頻度は決して少なくありません。三つの問題とも関わるものであり、お母さんたちが発する重要なSOSのサインと考えます。

 

産後の私のプライベート

子育て優先が当たり前で、親のプライベートを問題にするのは?と思われがちですが、それでよいのでしょうか。やりたいことができないと思うが、 実は別の問題が裏にあるのかもしれません。

 子育てで、睡眠不足、食べることもままならず、お風呂にもゆっくり入れない。疲れて、健康はすぐれない。家に閉じこもり、子供とふたりぼっちの毎日がつづく。低次元かもしれないけど基本的な自己欲求、外的に充たされないことはつらいものです。

 しかし、自分のやりたいことがもっと高次元の欲求で、内的に充たされたいという悩みであったらどうか。他者から認められたい尊厳欲求、自己実現欲求であったとしたら、産後の子育て期の女性の悩みを軽んじるわけにはいかないと思います。

 

子供との新しい生活を新しい自分で迎える

 子供との新しい生活が始まる時は、自分らしく生きる中で始めたいものです。子育ては、やらされているのではない。女性として自発性を持って、自分をコントロールしながら、妊娠して、この子を産んできたんだ。そういうやる気で産後の子育てもスタートしてほしい。自分で立てた目標を自分で達成するんだという気概が必要なんです。

 そうは言っても簡単ではありません。まず、ダブルゴールで、短期的な目標として無事出産、長期的な目標として子育て、私の家族を育むのでよいでしょう。その過程で、常に自分は変えていく、変わり続ける努力をすることが大事です。新しい生活には新しい自分で臨み、適応するのです。

何を変え、何を変えずに守っていくのか。変えることとは、産みの苦しみに直面し、もがいて、自らを内側から解体するという経験をすることです。子育て期の母としての気概の礎になります。変えないことは、自分らしさを求める尊厳欲求、自己実現欲求です。子育てで諦めないでください。

 

問題解決はコミュニケーション能力にあり

 子育ては社会の中で行うものです。父親、家族 周囲の人と協力が欠かせません。自分の周囲とのコミュニケーションを活発にしましょう。コミュニケーションの本質とは、聞いてあげる力です。結論よりも、議論の質を重視します。グループトーキングの非指示的で自由な受け止め方のなかから多様性に気づき、その気づきや感情をみんなと共有する。産後の問題の解決の糸口はそこにみえてきます。「子供を産んでからやりたいことがほとんどできない」をテーマにたくさんのママたちの話を聞くとよいでしょう。自分を束縛していたものが何か、きっと見えてくるはずです。

 

      本稿は2018年121日「院長と話しませんか  『先輩おかあさんと語ろう』」の内容からまとめました             

 

料理を楽しんで自由に

分娩の立ち会いについて

あなたの好きな食べ物は

 私の好きな食べ物は、唐揚げとだし巻き卵です。そんなものかと思われることでしょう。この二つが好物なのには訳があります。子供の頃、母が作る弁当の定番メニューだったからです。「おかずは何にする?」「鳥の唐揚げとだし巻き、お願いします」これで決まりでした。

妊娠・育児で忙しいとつい疎かにしがちな食事です。しかし、食べることは生活の基本です。それだけに子供の頃のことは、母との思い出が色濃く残っているのです。これから母になる皆様も是非、家庭の味、母の味を思い出し、自分らしい母の味となるメニューを考えてみてください。 

妊娠中・産後の閉塞感から解放されるために

 妊娠・出産・育児では忙しい毎日に追われます。悪阻や便秘、乳房の張りなど体調の変化もあり、料理が億劫になります。ずるずると精神的にも肉体的にも閉じ籠りがちになりがちなのが産前・産後の生活です。妊娠前はあんなに活動的で、自由だったのにと思われることでしょう。実は、産科医も同じリスクを孕みます。休みなく24時間、お産に備える拘束感、閉塞感は産科医が少なくなる原因でもあります。そういう閉塞感から解放されるための私の処方箋は、料理を楽しむことです。

「入院中、何が楽しみだったかといえば、食べることでした」と、当院が持て成す食事は多くの方に満足していただいています。院長もどうせ遠くに行けないなら、朝昼晩と、クリニックの食事をいただいて、健康管理すればと言われます。しかし、私の院内食は朝食だけです。食材を求めて近所に出かけ、自分で料理して食べたいものを食べることが幸せであり、また、私のささやかな自由でもあるのです。 

料理を作ることは、頭をフルに使うこと

 買い物で外出することだけが解放ではありません。今日は何を作ろうか、材料は、手順はと思いを馳せます。店先に並ぶ旬のものをどのように組み合わせるか、見栄えは良いか、栄養のバランスは取れているかと考えを巡らせます。実際の料理となれば、火加減、包丁さばき、混ぜたり返したりと細かな作業の連続運動です。食す時も、味だけではなく、視覚、嗅覚、食感と五感で味わいます。料理は空腹を満たすためだけではなく、脳を刺激して頭を解放するチャンスなのです。 

食べることへのこだわりで生活に彩りを

 積極的に、主体的に頭を働かせて体を動かすことは、妊娠中の体づくり、心の健康の基礎となるでしょう。もちろん食べ過ぎには注意ですけど。また、妊娠・育児の間は人と接することが少なくなる問題の解決にも使えます。実母や義母、近所の人やママ友と一緒にクッキングで触れ合えば、普段話しにくいこともさりげなく相談できるかもしれません。美味しいものを食べているときは、誰も笑顔で話せるものです。是非、料理を楽しんで、産前・産後の生活に彩りを加えてみてください。   2019.2.25

     本稿は20181030「第3回院長と話しませんか  『妊産婦さんの栄養と食事』の内容からまとめました


自然分娩とフリースタイルを考える

分娩の立ち会いについて

 お産をするなら「自然分娩でフリースタイルがいい」と考えている方が多いと思います。「心」と「体」をキーワードに「自然分娩とフリースタイル」を考えてみます。

自然分娩とはどのようなお産

  果たしてどのようなお産が「自然分娩」なのか。具体的な定義には捉われないで考えます。ただし、母児の健康と安全を考えて、標準医療に基づく予防的管理は否定しません。社会的、倫理的にも受け入れられる自然分娩について議論します。また、自然分娩の対義語として医療介入という考えからは離れてみます。

  お産は自然に任せることで大概のお産は上手くいきます。しかし、それ以上に我々は「自然分娩」に惹きつけられます。なぜなのか。二つの理由があります。

 一つは、自然分娩は産む人の主体的な心を尊重するお産だからです。自然の流れに任せつつも、自分で決めたことに責任を担いながらお産に臨みます。

 二つは、自然分娩は産む人が備えた体の力を引き出すことを必要とするお産だからです。自分の体と向き合う体験なのです。

  このように産む人の真剣な「心」と強い「体」が求められることが、自然分娩の魅力です。つまり自然は自分自身であり、自然分娩は自分で取り組むお産なのです。

フリースタイル分娩とはどのようなお産

  自然分娩ではアクティブバースの一つとしてフリースタイル分娩が採用されます。分娩台に囚われずに、家族の立ち会いのもと、自由で楽な姿勢を取りながらするお産です。精神的にリラックスして心を開くお産です。そして、胎児が骨盤の中を進行するのに伴い体の変化を感じるお産です。

しかし、お産の方法に捉われないように

  自然分娩、フリースタイルはいいことばかりではありません。手間を惜しまず、時には辛抱強く分娩の進行を待たなければいけません。管理技術を必要として、支える人がいなければいけません。また、自分の思い通りにならないときも、じっくりと向かい合う覚悟が必要です。時には母児二人の命に関わるリスクに直面して、望まない結果を受け入れなければいけない時もあります。全ての人が思い通りに実行できるわけではありません。

 そもそも出産は子孫にDNAを残そうとする生物の自然な営みです。だから自然分娩そのものに、いたずらに憧れを抱いたり、不用意に推奨したり、価値を見出そうとすることは慎むべきです。フリースタイルも、方法論として、楽な分娩体位の選択肢と捉えてはいけません。何よりも自由なことが本質の自然分娩です。お産のやり方、方法があなたの心を拘束しないように注意します。

手段を目的化することなく、真の目標に向かって進む

 さて、ここからが「自然分娩、フリースタイルを考える」の主題です。それは、お産は「何を目指すのか」を意識して臨むということです。目指すものを見失うと、「手段の目的化」に陥りやすいから注意してください。自然分娩もフリースタイルもお産の手段の一つです。だから、自然分娩、フリースタイルをお産の目的にしないように心掛けます。

 もし、手段が目的に変化すると、それが上手くいかなくなった時に、別の方法が考えられなくなってしまいます。ハイリスク妊娠や周産期異常のため、自然分娩、フリースタイル分娩ができなくなることもあります。その時、お産で目指すものを見失うと、困ってしまうのです。

 解決方法は、常に真の目的は何かを問い続けることです。自分のお産の本質的な目標は何か。思い出して考えるのです。それは各自の目標でよいです。しっかりと自分に問いかけます。

「自分らしいお産をする」「自分にしっかりと向きあう」

 「自分らしいお産をする」、「自分にしっかりと向きあう」、この二つを目標として挙げてみます。自分の心に素直になって、主体的にお産に臨む。自分の体にしたがって自己を解放し、お産を変わる機会として新しい自分を発見する。どうやるのか。それには、自然分娩、フリースタイルがいいね、ということです。もし、周産期異常のために医療介入を要した時は、良きアドバイスに従い、体に合った次の方法を採用して、少しでも「自分らしいお産」に近づければよいのです。

自然分娩とは自分の心と体に素直に向き合って挑むお産です。方法としての自然分娩に促われることなく、真の目標を意識してお産を進めてください。自然はあらゆるものを包摂します。お産で頑張るあなたの個の営みも優しく見守ってくれます。自然分娩の奥義は、「森を見て、木を見ること」にあります。               2018.9.8

   本稿は20188月25日「第2回 院長と話しませんか 『自然分娩・フリースタイルを一緒に考えよう』の内容からまとめました

 

バースプランを書こう! でもその前に

分娩の立ち会いについて

 陣痛はどのくらい痛いの。お産は何が起こるか分からないから心配。そのようなお産への不安、悩みを少しでも和らげ、安心したい。そのためにお産のイメージを出来るだけ具体的にしておきたい。皆さんはそんな気持ちでバースプランを書き始めるのではないでしょうか。

  そこで、バースプランを書く前に、次のことを少し考えてから筆を取ってみてください。

  ·  私たちはお産の前に、なぜ悩み、不安な気持ちになるのか。

 · 私たちはお産の前に、何に悩み、何を不安に思うのか。

 · そしてバースプランに期待するものは何か。

そこで、「時間の捉え方」「イメージの作り方」の二つについてまず考えてみます。 

1.   「時間の捉え方」:後ろを振り返り、因果関係を探る気持ち

  私達は時間を線で捉えることが多いと思います。現在は過去と繋がり、未来へと延伸しているものと捉える考え方です。

 後ろを振り向いて、紐を手繰り寄せるようにして、現在の事象の原因を過去に探る。つまり因果を求める。このことは悩みの原因のひとつではないでしょうか。

 前を向いて、紐の先を覗き見ようとする。そして、それが思う方向に向かっているか気になる。できれば思う方向に向けてやろうと企てる。未来を知って、操りたい気持が、不安をもたらすのではないでしょうか。

 そこで一つ目の提案です。バースプランで悩みと不安に囚われないように、時間を線で捉えることを止めてみましょう。 

2.   「イメージの作り方」:情報収集、理想モデル作成、イメージの具現

  計画(プラン)とは、将来 実現しようとする目標と、この目標に到達するための方法や段階を考えることです。皆さんはこれからお産の情報を集めます。それに基づいて理想のお産モデルをイメージします。そして、イメージしたお産を実行しようとするわけです。

 しかし、それぞれの過程に悩み、不安に陥る落とし穴があります。

 現在は情報に溢れています。インターネットを使えば手軽にその中から都合の良い情報を抽出できます。しかし、信頼できる人や、直接の体験に基づかない情報を信じてよいのか、まず疑ってみる必要があります。

 理想とは自ずと最善を求めます。もっと良いものがあるのではと、ついつい考えてしまいます。自分を原点とすべきところ、他人のつくった価値観にひきずられて悩んでいないか注意します。

 初めての体験、未知なるものをイメージするとき、どうしても恐怖が付きまといます。恐いという気持ちの怖れ、悪いことが起こるのではないかという心配のおそれ、さらに神秘的なものを憚るような畏れも混ざった恐怖です。現実から逃げること、避けること、そして楽をしようと計画していませんか。 

 情報と理想から作られたお産のイメージは、結局は他人の追体験ではないか。本当に自分に合った自分らしいお産なのか。そして、本当に私の体は痛みに耐え、産む力があるのか。一人で考え始めると悩みと不安はつきません。そこで、二つ目の提案です。お産をイメージすることを止めてみませんか。 

一体どうすればよいのか。

· 時間を「瞬間」で捉えてみる

· 永遠を刹那とし、一瞬の感動に身を任せ、新しい発見に驚きます。

· 瞬間で現れるものは、実はいつも同じもの、変わらないものではないでしょうか。つまり、喪失感のない真の価値、幸福が瞬間の中にあるのではないかと考えます。

· イメージづくりから「解放」

· 情報に惑わされず、自分らしく自由であるために敢えて計画を持たない。

· それはいつもの自分からの解放であり、新しい自分を発見することを目指します。 

 時間を「瞬間」で捉え、お産のイメージづくりから「解放」して、バースプランを書く。「そんなの無理」と思われることでしょう。確かに難しいかもしれません。そこで三つのアシストを提案します。

·一人で書かずに、寄り添う人とコミュニケーション

· 身体()作り、心を伴ったあらゆる活動に対応ができるようする

·誰とバースプランを書いたらよいのか」、助産師と書く

以上の三つのアシストに従ってバースプランを書いてみてください。

「お産はぶっつけ本番、出たとこ勝負」。書かれることは抽象的な思いでよいです。存分に心の中を披歴して下さい。きっと寄り添う人に伝わるはずです。                      2018.7.24

   本稿は2018年7月21日「第1回 院長と話しませんか『バースプランを一緒に考えよう』の内容からまとめました

生まれも育ちも府中です

分娩の立ち会いについて

生まれも育ちも府中です 

 府中市内での生まれは府中市出生数の約60

 東京府中市の平成29年度出産場所別出生数概算を図に示します。府中市出生数2151例の約59%が府中市内の産科施設で出生していました。私はこの数を見て感じたことは、40%ものお母さんが府中市外で出産しているのだという驚きでした。

 府中市には不妊症クリニックから有床診療所、病院、周産期母子医療センターまでと、あらゆる種類、病態の治療管理ができる周産期施設が揃っています。お産難民の問題が取りざたされて久しい昨今にあって、周産期医療に関しては都内でもめずらしい恵まれた環境です。それなのに、40%ものお母さんが府中市外で出産しているのは何故なのか、と考えてしまいます。

 産まれた場所は子供にとって「私の環境」

 計画した出産方法を実践する、お気に入りのサービスを求めて分娩施設を選ぶ、そういう方もいるでしょう。しかし、これらは分娩という比較的短い時間に関わる価値観です。産後の子育て、子供との生活という長い期間に関わる価値観に目を向けた時、産む場所と、日々生活を営み、子育てする地理的場所との関係は大切です。

産む場所と生活の場所の一致にこだわるのは、子供は生まれた場所に自分の根を生やして育つからです。子供が「私は誰」と自我に目覚めた時、まず考えるのが「私の環境」、自分が産まれ育った場所です。子供は環境と地域社会が育むからです。子供の人生を考える時、彼らが生まれた場所と育っていく社会との整合性は重要なのです。彼らが社会に根をしっかりと張って、生きてきたと振り返る事を願うのです。 

重要な産後の子育て期間を地元が支える

 産後の子育て期間にはいろいろな問題が発生します。その解決には時間を要して、継続した支援が必要です。そのような問題を抱えたお母さんに必要なのは、まずは同世代のママ友との交流です。府中で同時期に産んだという繋がりでできる連帯感は強い見方になります。また、私たちは市の保健師さんと密接な連絡を取り合います。産後に皆さんが適切な子育て支援サービスを受けられるよう地域で支えます。

仲間を作り、話を聞いてもらい、しっかりと支え合うためには、居住地で産むことはメリットがあります。 

人生の原点に戻るとき

 出産して始まる新しい生活。子育てや家庭のことなどで苦労することも多いでしょう。そんなとき、今の自分がある原点に戻ってみてはどうでしょうか。自分が拠って立てる場所、そういう場所から勇気をもらうのです。そういう時、生活している場所に出産した施設があれば、ちょっと散歩で立ち寄って「私はあなたをここで産んで、私達は出発したの」なんて呟きながら、気持ちを新たにする。私たちの本望です。

お子さんが、「わたくし、生まれも育ちも武蔵国府中です。大國魂神社で安産祈願、姓は、名は……. 」なんて口上述べてくれたらいいですね。

                2019.2.25

みんなで「美味しい」ものを食べましょう

分娩の立ち会いについて

 忙しいと冷蔵庫の中の残り物の有り合わせで料理をと、ついついなりがちです。産後間もない授乳期のお母さんや、そういう皆さんの分娩に昼夜問わず付き合う私たち産科医、助産師も私生活では食事がおざなりになります。でも、そういう時こそ息抜きに外に出て、お店を周り、店頭で出会った旬の食材を持ち帰って、料理を楽しみたいものです。食べることは、生まれることと同じ生きる喜びの一つ、大事にしたいものです。 

 私ごとですが、胆石による膵炎、胆管炎で突然入院、食事療法を強いられました。お腹が痛いのも辛かったのですが、その後の長い絶飲食、低脂肪食の生活はそれにもまして辛かったです。2週間で10㎏以上痩せました。食事の時間がないと1日がのっぺりとして変化が感じられなくなります。仕切りのない大広間にポツンと正座しているようでした。これまでの食事が、食欲中枢を満たすだけの動物蛋白、高脂肪食に依存していたことも骨身に応えました。膵炎で入院したその日の昼食も、お産と外来の合間に慌ただしく食べたコンビニのカツ丼でした。 

  膵炎の後のように産後の食事は、乳腺が詰まらないように「粗食でいいのよ」とばかりに低脂肪食が勧められます。しかし、産後はお母さんの体力回復、赤ちゃんの血と肉の元である母乳をつくらなければいけない大事な時期です。しっかりと滋養のある食事が必要です。しかし、動物蛋白、高脂肪食に頼らずに、栄養摂取と食欲を満たすにはどうすればよいか。現代の食生活に慣れた若いお母さんには難しい課題です。 

  おすすめは野菜中心の献立で戦略を立てることです。まず、旬のものを選び、素材の味を大事にします。そして、食材の組み合わせを工夫し、調理方法には手間を惜しまず、食感にも変化を持たせ、しっかり咀嚼できるように仕立てます。和食には、そのための先人の知恵が詰まっています。当院はそんなコンセプトで給食を提供するように、厨房にはお願いしています。

「旨い」というのは、舌の感覚の直感的な表現で、一人で食べる時に使う言葉です。一方、「美味い」は人が集まって食べるときに、その時の環境と会話から出てくる理性的な表現です。当院では入院中に同じ時期に出産したお母さんたちが集まって食事会を開くことがあります。お産の後は、体は滋養を求め、心は人との交流を求めています。当院自慢の給食を囲みながら、お互いの健闘を讃え、院長の悪口を薬味にして、「美味しい」ひと時を楽しむとよいでしょう。         2018.6.15

リスクという言葉が持つもう一つの意味

分娩の立ち会いについて

   お産は何が起こるか予想できません。そのため、「大きな病院での管理が安心」というのが、リスクを考慮した最近の分娩施設の選択です。私たちの有床診療所や助産所の安全は大丈夫なのか。リスクに対して十分に備え、対応できているのか、そして、その存在意義は何かが問われてきています。しかし、これまでも多くの方々が、私たちと取り組むお産を選択されてきました。そういう皆さんの思いはどこにあったのか。リスクという言葉から考えてみます。

   そもそも、お産のリスクとは何か。日本語のリスク(危険)とは、〜に注意、〜を回避と、遠ざけたいネガティブなイメージを持つ言葉です。そのため、日本の周産期医療のリスク管理は、妊産婦と胎児・新生児に障害・損失の発生を回避することを第一義とします。母児の安全、健康の保持を優先して、異常事態、事故のないお産を目指します。「初産の方は会陰切開」「41週を過ぎたら分娩誘発」「前回帝王切開は帝王切開」「骨盤位だから帝王切開」など、リスク回避の管理が説明されます。 

  しかし、これらを素直に受け入れるのは容易ではありません。お母さんたちのお産に懸ける思い、「私らしいお産」のあり方への拘りがあります。お母さんは心の中で、「ちょっと待ってください」と呟くのです。 

  欧米のriskには、(危険、結果などを覚悟の上で)敢えてする、思い切ってやる、〜を冒す、というポジティブなイメージがあります。実は日本のお母さんも、リスクを冒してお産に臨んでいるのです。それは、ポジティブに未来を選択する勇気ある挑戦です。結果に不確実なものを孕むこともあります。好ましいものから好ましくないものまでいろいろあります。しかし、お母さんたちは、そういう不確実性に挑んでいます。お産は満足と幸せを探るための冒険の出発点なのです。この先「自分らしく生きるため」にはと、お産のあり方を考えているのです。 スモールサイズの有床診療所や助産所は、お母さんたちに個別に寄り添い共感することを得意とします。そこで、私たちは真摯にお母さんたちの挑戦への思いを聞いて支援します。

  周産期医療のリスク管理には、挑戦を支えるという、もう一つの意味があるのです。したがって、私たちは「安全のため」と「挑戦のため」の二つの管理を同時に進行させます。障害・損失が発生する確率と結果の意義について情報を伝え、安全に配慮した対応策を準備します。そして、お母さんたちの挑戦への思いもしっかりと聞き、その実現を支援するのです。こんなリスク管理を行いながら、お母さんの「自分らしいお産がしたい」という熱い思いに応える、それがスモールサイズの施設の存在意義なのです。                   2018.4.6

 

お産で目指すもの

分娩の立ち会いについて

 1  心の変化

 女性医師が3人目を助産所で分娩するために当院を受診されました(助産所で分娩をするためには嘱託医療機関の受診が必要なためです)。上の二人のお子様の分娩は、医師の管理が中心の大きな産科施設でした。そこで、なぜ今回は助産所分娩を選んだのか尋ねてみると「今までのお産は医療にお任せで、無事産めればよいという考えだった。でも、今度は自分でしっかりと準備してお産に向き合い取り組みたいからです」との答えでした。

 お産に臨むとき、お産のあり方には二つの価値観があります。ひとつは、安全に異常のないお産を目指す価値観で、母児の健康を優先するものです。もうひとつは、お産の過程で感じるものやその後の推移を大事にする価値観で、母児の間に生れる心の変化を大事にするものです。これらは、産む人にも医療者にも共通する価値観です。 

  最近の周産期管理は、心のゆとりが少し足りないように感じます。母児の健康を優先する価値観に精一杯で、お母さんの心の変化まで考える余裕がないように思います。本来は、妊産婦自身が自立して真摯にお産に取り組み、お産を通して経験する心の変化をしっかりと味わって、母親になっていくことが大事なのだと思います。 

 女性には、妊娠から始まり、子育て、家族の成り立ちへと紡がれていく物語があります。それぞれの心にしっかりと刻まれる物語ですから、私たちはその環境造りを考えながら大事にお産のお手伝いをしたいのです。もちろん本人自身が、当院を受診された女性医師のように自分のお産にしっかり向き合う覚悟が必要です。 

2  自信・信頼・共同体意識

  お産という通過点を経て、母と子は家族の長い物語を紡いでいきます。明るい未来の物語のための、貴重なアイテムを獲得する機会がお産です。陣痛や数々の困難、リスクを乗り超える体験は、アイテムを獲得するための代価かもしれません。

その貴重な3つのアイテムとは、 「わたしの自信」 「あなたとの信頼」 「わたしたちの共同体意識」 です。 

  ・わたしの自信 
 自分の意思と力で、しっかりと努力してこそ獲得できるものが自信です。“お産を自分の力でやり遂げた”という達成感がもたらす自信は、これからのあなたの育児力の源です。

  ・あなたとの信頼 
 お産の間中あなたにずっと寄り添い、苦しい時も、嬉しい時も、共感してくれた人との心の触れ合いから生まれる信頼。信頼とは、隣人を信頼し、また、隣人から信頼される、双方性の関係です。お産を通して感じた信頼は、これからのあなたの力強い味方です。

  ・わたしたちの共同体意識 
 子育てしながら生きていくということは、社会の中で仲間と支え合い、互いに働き掛けながら進んでいくことです。このような社会との関わりに、生きる喜び、幸せを見いだすのが共同体意識です。妊娠出産を通しての共同体意識は、この先のあなたの道標です。 

 お産という体験を通じて、自分と向き合い、持てる力を出し切るからこそ得られる自信、自分を支えてくれる大切な人が傍にいてくれることを知って得られる信頼、そして、誰もが支え手となる社会で子育てする共同体意識。まずこの3つのアイテム獲得を皆さんにお産で目指してもらいたい。それが私たちの願いであり、大切にお手伝いしたいことです。 

3   医療者との関係 (遠くから医師、近くに助産師)

  自信・信頼・共同体意識の3つのアイテム獲得には、医療者との関係が鍵になります。真摯なお産への取り組みは、言い換えれば産婦、医師、助産師三者の真剣勝負でもあります。

産  婦: 「わたし、しっかりやるから見ていて!」

産科医: 「自分でやりなさい。ただし、必要なときは口も出すし、手も出すよ!」

助産師: 「そばにいてしっかり応援するから、頑張って!」

  医師との関係には、適当な距離感が必要です。私のことを、助産師のように優しく、なんでも相談にのってくれると思って近づく方がいますが、やや疑問です。そもそも、医師は皆さんと距離をおいて、異常がないか、問題がないかを監視する人です。リスクが高まり、必要があると判断すれば、躊躇なく医療介入を施します。

 母と子の二人の安全と健康を見守るためには、客観的に観察できる広い視野と、迅速な行動のための余地が必要なのです。個として近づき過ぎて深く関わり過ぎると、ややもすれば感情的になり、見るべきものが見えなくなり、やるべきことをやれなくなります。時には患者に対して支配的になる危険性もあります。

 また、皆さんも医師に近づきすぎると、医師に対して依存的となり、承認を求めるようになります。折角の自由や自分で決められる権利を損ねる危険性がでてくるのです。

 とは言っても、お産には分からないこと、不安はつきものです。そばにいて関わってくれる人は必要です。誰にその役割を頼んだらよいのか。助産師です。ただ、分娩を介助して赤ちゃんを取り上げるのが助産師の仕事ではありません。妊娠から産後まで良き相談者、共感者となって心身のケアをするのが助産師の大事な仕事です。

  遠くから近くからと、医師と助産師は分担して、皆さんのお産を見守ります。皆さんが分娩の場所を選ぶ時は、そのような役割をしっかり担い、助産師が主体的に活躍している施設を選んで欲しいと思います。                                 2018.3.5

突然の病とお産の「カン」

分娩の立ち会いについて

 開業して7年目の初めての休みが突然の入院でした。2週間も臨床の現場から離れることになりました。その間に体重は10Kgも減って、厳しい療養期間でした。しかし、一番気になったことは、お産の「カン」が鈍って弱気になり、今後の臨床で分娩管理への姿勢が変わってしまわないかということでした。

  歴史小説家の塩野七生氏によると、素質は先天的なもの、「カン」は絶対後天的なものだそうです。「カン」を鍛えるために現場で経験を積み、五感を鍛え、直感力を養います。お産のための「カン」が、休むと忽ち鈍るのではと不安でした。

  医療と「カン」とは意外な関係に思われるでしょう。医学管理は合理的で論理的なものです。エビデンスに基づいて、機器が打ち出すデータをもとに、マニュアル、ガイドラインに従うのが現在では周産期管理の主流です。しかし、お産の管理には、「カン」は欠かせません。ベテランの産科医や助産師が持っている技とはこの「カン」です。五感で得た情報を直感的全体的に認識して瞬時に判断します。「カン」の大事なところは、個別の積極的な働きかけです。変化する動的事象に積極的に行動します。ともするとガイドラインの学習に基づく行動は、理想的な静的モデルの追従です。決まりきった消極的で抑制的な判断、行動になりやすいのです。

  私たちが自然なお産を目指し、妊婦の産む力を引き出そうとする時、「カン」で対応することが多いのです。それぞれの経過をしっかり見守り、流れを全体的に捉え判断するのです。それぞれのお産に、それぞれの経過、それぞれの結果です。「エビデンスから予想されるリスクを計算し、合理的な安全な管理はここに帰結する」とは考え方が違うのです。

  さて、2週間ぶりの復帰で私の「カン」は錆びついたか。厳しい腹痛とその後の辛い療養を経験して、患者の立場での苦しみや不安を知りました。医者になって初めての経験でした。身体はヘロヘロでしたが、神経はピリピリとしていました。そのため五感は活きていました。体力の回復には時間がかかりそうですが、貴重な体験を経てお産の「カン」はバージョンアップです。どうか安心してください。                             2017.11.25

お産施設の「深刻な人手不足の恐れ」という記事を読んで

分娩の立ち会いについて

 産婦人科医会の試算によると、労働基準法が上限と定める1日8時間、週40時間を遵守すると、高度医療を提供する総合周産期母子医療センターや地域周産期母子医療センターでは大量の医師不足が生じ、医師不足で運営ができなくなる施設が全体の68%に上る可能性があるとのことです。2016年の出生数は97.7万人でしたが、14.7万件の分娩に影響が出るそうです。産婦人科がある一般病院でも、半数以上で医師不足が生じるため、中井常務理事は「医師の増員とともに、医療機関の集約も必要だ」と指摘しています。

   医師の増員と医療機関の集約の行き着くところは、巨大な周産期センターがイメージされます。しかし、私は別の選択肢はないかと考えます。労働力、施設管理を合理的に行う場合、規模の経済性に従うと、大きくすることで利益が得られます。しかし、お産のように心の機微に関わる事業では、果たしてそれでよいのかと思います。伝統工芸の担い手が家内手工業であり、グルメを唸らせるのはオーナーシェフの小さなレストランであるように、心の通う温かいお産のためには、有床診療所、助産院も選択肢として残したいと思うのです。

  ただし、小さな施設がお産を扱うためには整えておくべきことがあります。正常な妊娠経過、分娩、新生児を扱うこと。しっかりとしたリスク管理で、周産期異常を予防し、また、異常な経過を早期発見し、重症化する前に高次医療機関に紹介すること。地域の医療機関との連携を密にし、日頃からコミュニケーションを持つことです。正常分娩は有床診療所、助産師管理の分娩施設で扱い、高度の医療を要する症例は高次医療機関が担当する。高次医療機関の負荷を減らし、医療資源の有効な活用へ導くのです。

  もう一つ重要な条件は、施設の規模に合わせた管理、施設基準の個別化です。安全管理の視点から、あらゆる管理基準も大規模病院と同等のものへと集約される傾向にあります。正常な分娩を扱う小規模施設にとっては、それらの基準と規制が足枷となります。小規模施設にはそれなりの安全管理と人事、経営があり、その多様性と柔軟性こそが、予測される「深刻な人手不足の恐れ」解決の一助になる筈なのです。                       2017.11.25

Baby-bustってなに?

分娩の立ち会いについて

 Baby boomは知っていてもbaby bustは聞きなれない言葉です。 baby bustは出生率低下です。2016年に日本では一人の女性が生涯に産む子供の数が1.44となり、少子化に拍車がかかっています。日々お産に立ち会いながら、出産と子育ての歓びを多くの人に味わってもらいたいと思いつつ、一方でbaby bust、少子化を心配しています。

  少子化にはいろいろと対策が提案されています。世界では信心深い宗教的な生活なんていうものから、直接的な出生増進策として結婚と出産の奨励金交付なんていうものまで試されていますが、どれも効果はないようです。今のところ子育て支援と父母の有給の産休制度が有功な策として提案されています。work-home balance (仕事と家庭の両立)の支援です。子育てしながら仕事とキャリアを維持することが、子供を持ちやすくするという考えです。

  ところで、work-home balance opportunity cost (機会費用)という経済学上の概念を基にしています。「子供を産むと、現在の収入や将来の収入増加が犠牲になる」、「子供を産むと、仕事をやめたり今の職場の地位を諦めたりしないといけない」という出産、子育てによる損失を最小限にして、仕事とキャリアをできるだけ守るようにします。

  この機会費用を最小限にするように計画を立て、年齢と社会活動を重ねた後に、いよいよ妊娠、出産、子育てに臨む女性が多くなりました。ところが、お産という自然の生理現象は、時に優しく時に厳しく、なかなか思い通りにはなりません。加齢に伴う妊孕能の低下、周産期リスクの上昇など想定外の現実を突きつけてきます。

  「子供を産んでよかった」「また、次の子を産みたい」という気持ちは、計画の成否、打算から出る評価というよりは、陣痛の苦労などの体験から自然に湧き出てくる思いです。私たちが心がけている少子化対策は、多くのお母さんにそのような気持ちを胸に抱いてもらい、家族の元へ送り出すことです。Baby bustは社会政策、経済問題だけに止めることなく、母性・家族愛などと両立させながら考えなくてはいけない課題なのです。            2017.11.25

お産の瞬間を捉える写真の力

分娩の立ち会いについて

  子供を産むということは、自己のDNA再生という全ての生物に共通の日々の営みです。地球上で今この瞬間にも、単細胞の細菌から巨大な哺乳類、聳え立つ樹々にいたる全ての生物が、営々とその営みを繰り返しています。 

 しかし、人は自分たちの出産の現場に立ち会うと、共感により深く心を動かされます。不思議な思いが沸々と湧いてきます。科学が進歩し、それがDNAの複製、生化学的な反応、そして、プログラムに組まれた生理学的な現象の帰結だと分かっていても、言葉では全てを表現しきれません。深淵なる世界を覗き、畏怖の念に打たれる、そのような特別の瞬間なのです。言葉を使って表そうとしても、言葉は忽ち抜け殻となってしまい、力を失います。人の出産とは、誰もが言葉を呑みこむ、そんな瞬間なのです。

  まず、五感でしっかりとお産を感じてください。見えるもの、聞こえるものだけでなく、独特の匂いや赤ちゃんに直接触れて肌で感じた温もり柔らかさを記憶に刻み込んでください。言葉に残した記録だけでは、あの感動を呼び戻し、伝えることは難しいものです。一葉の写真を残しておくとよいでしょう。「写真の力」はあの時の感動を記録し、後々呼び覚ましてくれます。

 写真撮影の注意

  •  当院では分娩時の写真撮影は原則自由です。
  • フラッシュは使用しないで、高感度のオートのセッティングで十分撮れます。
  • SDカードなどのメモリー切れ、バッテリー切れに注意してください。
  • 三脚固定のビデオ撮影はお勧めしません。監視カメラのような画像では折角の感動を把えられません。しっかりファインダーを覗いて、あなたの気持ちを込めた写真を撮影してください。       2017.10.13                                         

生む力の源は社会との繋がりと「オキシトシン」

分娩の立ち会いについて

 当院で働いていた園田希助産師は、今大学院で愛情ホルモンと呼ばれるオキシトシンの研究をされていて研究の動機をハンズの会で講義してくれましたその導入部を皆さんに紹介します。 少子化社会から出口の見えない日本においてお産は個人的な営みというよりも、共同体における社会的な営みなのだという興味ある視点です。

 

              聖路加国際大学大学院博士後期課程 園田希

  人と人との繋がりが希薄化、触れ合う機会の減少

 現代の日本が直面している問題の1つに、人口減少と少子化があります。子どもの数が減り、日常生活の中で子どもと触れ合う機会は減少しています。出産を控えた女性の約半数の方が、子どもと触れ合う経験を持たず、母親となっているとの報告もあります。それだけではなく、人と人との繋がりも希薄化し、隣の家の住人と挨拶を交わすことも少なくなってきています。 

 人と人との繋がりが希薄化する一方、日常生活は快適で、そして便利なものになりました。インターネットで簡単に情報を得ることができて、実際に店に足を運び、商品に触れ、店員さんの説明を聞かなくても、口コミを見てインターネットで買い物も出来ます。

 妊娠・出産・育児の場では、陣痛が始まれば、自分の体の感じ方よりも、陣痛アプリで陣痛間隔を測る、という妊婦さんの姿を目にすることも稀ではありません。赤ちゃんとの生活の情報を、周りにいる人からではなく、インターネットやSNSから得る妊婦さんが多くなりました。

女性の産む力を引き出して、発揮するために必要なもの それは社会との繋がり

 自然分娩を達成するために不可欠なものが陣痛です。自然分娩を達成するためには、妊娠37週から41週の間に陣痛が来ること、そして児を娩出することができる有効な陣痛が必要です。では、妊婦さんから陣痛という産む力を引き出して、発揮するために必要なものは何か?実は人と人とが触れ合って繋がっていること、つまり、社会の力が必要なのです。「オキシトシン」の分泌もこのことと関係があります。自然分娩を達成するためには、人と触れ合う機会が減少した今、社会の力の再認識が必要なのです。 妊娠・出産・育児の間、女性が社会との繋がりを持てるように援助することは、私たち周産期医療者の大事な役割と考えています。                2017.9.2                                         

分娩の立ち会いについて

分娩の立ち会いについて

当院は家庭的な雰囲気の中で、命のつながりを家族とともに味わえることを周産期管理のモットーとしています。今、周産期において医療管理上の都合のため、家族、特に小さな子供の立ち会いなどを制約する施設が多くなりました。でも、出産に臨むお母さんの気持ち、事情を斟酌すべき場合も多々あると考えます。当院では原則立ち会い分娩を自由としています。
しかし、単純に全ての人に「立ち会い分娩」を勧めているわけではありません。次に整理した事項を参考にして分娩に臨むことをお勧めします。

1 産むのはあなた、あなたが力を発揮できる環境を
一人で臨むお産は、ポジティブに受け止めれば、新しい自己発見の契機です。心配、不安、寂しいとかで、家族に甘えたり、寄りかかったりしていませんか。分娩に集中できる環境を考えると、痛い時には大声をあげて、ありのままの姿でいることも大事です。寄り添いと助けはプロの助産師に委ねれば良いのです。
2 家族の思いもそれぞれ
お産の現場では非日常的な空間と時間を共有することになります。受け止め方、記憶の仕方は、ひとそれぞれです。ご家族の心に残るものも、それぞれ違います。あなたとパートナー、実母、上の子との人間関係の変換点にもなります。家族の絆が深まることもあれば、時には関係の修復が必要なこともあります。
全てのお産が思い通りの正常分娩とは限りません。慣れない立ち会いのため、不安と疲労で混乱してしまうのは、まず第三者です。余裕のある距離、安全地帯を設けておいた方がいい時もあります。
3 他の産婦さん、新生児もいます
感染症のある方、特に小さなお子さんは、新生児を避けなければいけません。心配な時は必ず相談ください。
産後はお母さんも赤ちゃんも十分な休養が必要な時期です。また、他のお母さんたち、ご家族も神経質になられています。興奮しているとついつい周りが見えなくなります。入院中の周囲の方々へのご配慮は忘れないようにして、そっと休める環境づくりを心がけてください。

お産はまず自分で立ち向かうもの。寄り添いは助産師を頼みとして、お産の時空の周りには適度な安全地帯を設けましょう。

陣痛はなぜあるのか

陣痛はなぜあるのか

無痛分娩を扱う施設が増え、無痛分娩を希望される妊婦さんも増えています。 無痛分娩を紹介する記事も多く見かけるようになりました。確かに痛みは無いに越したことはありません。しかし、痛みを否定的に捉えて、無痛の長所ばかりが述べられるのは気になります。無痛分娩の問題点も議論し、痛みを肯定的に捉える考えも紹介されるべきでしょう。
無痛分娩でメリットが得られる人は、それを享受すれば良いでしょう。でもお産は人それぞれです。痛みを経験することを肯定的に捉えられる人も少なくないはずです。
私たちは無痛分娩を採用していません。長い間の数多くの分娩立ち会い経験から、痛みを肯定的に捉える考え方もあることを紹介します。

心身の集中と解き放たれた時の喜び
産むのは自分です。痛みは他人にはわかりません。「陣痛はどのくらい痛いの」という問いに答えるのは難しいです。わからないもので不安になるより、自分の持つ精神と身体の力をお産に集中してみませんか。そういう時に、痛みはあなたの集中力を高めてくれるはずです。
集中して成し遂げることで得られる自信と産まれた子は一生の宝物です。そして、心身への強いストレスの克服は、やがて新しい生活がスタートするための高らかな号砲と変わります。これは最初に身を以って感じるものです。

共感と連帯
お産の痛みの中で、母は自分を支えてくれる人がいることを知ります。これからの子育ては、誰かを助けたり、また、助けられたりの長い道のりです。痛みを克服してきた者同士の共感、連帯感がきっと芽生えているはずです。これはしばらくして気がつくものです。

余韻を味わう
痛みの記憶は忘れられないものです。怪我の痛みは身を守るための警告で、生き延びるための学習ですが、陣痛はそれとは異質の痛みです。心の中で熟成され、余韻として記憶の中に残っていきます。母であることの礎として、長い年月を経ても味わい続けたいものです。

知名にして開院

知名にして開院

私は50歳を過ぎての開業で、次の三つを課題として励んでいます。

一つは、妊娠・出産・育児を取り扱う上で、自然科学の知と人文・社 会科学の知を積算すると言うことです。

その成果が「先生は本当に何もしないし、診にこないし・・・」と妊産婦に言わせてしまう当院の分娩スタイルです。しっかりと気配を消し、よけいな事はせずしっかりと見守る。

自然陣発・経膣分娩・母乳栄養を原則とし、骨盤位の経膣分娩・VBAC(帝王切開後の経膣分娩)・妊娠42週頃までは自然待機という管理も行っています。

しかし妊産婦には、医療の介入にはあまり気づかせず自分の力で産んだと感じてもらいます。ただし彼女らには、妊娠中の健診から産後の母乳外来まで助産師をしっかりと寄り添わせ、彼女らの分娩にかける思いへの共感者とします。妊産婦の持つ微妙なジェンダーの問題に対しても、医師が真っ向からぶつからず、助産師をそっと寄り添わせて相談相手とします。

二つ目の主題は、small sizeで取り組む周産期医療です。

独立性・多様性・適当な分散性の中で、医療者から最大限の力を引き出すためのsmall sizeです。

これは集約化された周産期センターでの分娩管理に、真っ向から対立するものです。しかし、当院助産師のそれぞれの個性と能力をフルに発揮させるには、この事が必要なのです。また、妊産婦の主体性と自己決定権に基づく妊娠・出産・育児行動に呼応するには、我々が三つの属性をしっかり持つ事が必要なのです。

このことは院内に留らずに、助産所との地域医療連携でも発揮されます。開業以来、多摩地区の開業助産院の分娩を、年間約500症例規模でバックアップしています。つまり、small sizeの周産期施設の独立性・多様性・分散性を支えているのです。

三つ目は、禿頭白髪だけではすまない老いを実感し、人生の終結点を意識し始めた自己への「生きるとは何か、その目的は何か。」という問いかけでもあります。やはり、生きるということは社会との関わりを持ち続ける事、その目的はその中に自己の存在価値を見出す事なのでしょうか。

新生児を連れた家族が嬉しそうに退院して行く姿を見るたびに、しばらくは産科医として頑張ろうと思う艾年の日々なのであります。

命の生まれる現場から

命の生まれる現場から

私は、開業医である明治生まれの祖父母の姿を見て育地ました。地域医療の医師として患者さんがいるかぎり、とくに産婦人科医は“24時間365日医師である”ということを、幼い時から感覚的に学んだように思います。
自然な流れで医師を目指し、群馬大学医学部に入学。大学では優秀な友人たちに囲まれ、学業やラグビーの部活動を通して精神的にも体力的にもかなり鍛えられました。卒業後は、体外受精・胚移植に興味があり、迷わず産婦人科学教室に入局しました。今でこそ一般的な不妊治療の一つですが、当時は、東北大学で成功の1例目が出たばかりだったのです。

9年間の研究生活の間に助産師の妻と出会い、4人の子供に恵まれました。妻が子育てに専念してくれたので、安心して仕事に打ち込むことができ、そして何より、妊娠中の母親の変化や産後の生活などを間近に見ることができました。たとえば、お腹が良く張るという症状ひとつとっても、だから即、切迫早産というのではなく経産婦だったらこれも正常範囲の張りだとか、妊娠中の過ごし方や出産がその後の育児に大きく関わるということを、身をもって知りました。これは、産婦人科医としても貴重な経験でした。

その後縁あって、杏林大学の総合周産期医療センターの開設に携わることになりました。初めての経験だったのでそれはもう大変でしたが、新しいことへの挑戦はやりがいがあるものです。周産期センターという施設柄、扱うのは極めて重篤なケースが多く、医療処置に追われる日々でしたが、搬送元である地域の個人産院の医師や開業助産師との出会いを通して、大きな気づきがありました。それは、“正常な経過であれば医師がいなくても分娩はできる。でも、助産師がいなければ、医師だけで分娩はできない”ということでした。

不妊治療の最前線で研究を重ね、高度医療施設での経験を経て、満を持して50歳で開業。今年で(2016年)7年目になります。助産師として復帰した妻と共に、妊娠・出産・育児というお母さんたちの“挑戦”を見守り、支える毎日です。

これまでも“新たなること”に導かれまい進してきましたが、開業にあたっても、新しいことに挑戦することが原動力になっています。それが“お母さんのための周産期医療”です。なんとなく妊娠生活を送り、出産が終わったらハイサヨウナラではなくて、出産にいたる妊娠期も産後もとことん寄り添い、共感することが本当の周産期医療ではないかと思います。それには助産師がいなければ。医師は、助産師が妊産婦さんに寄り添い、お母さんたちが安心して子供を産み育てられるように、正常から逸脱した時の受け皿となって安全を支えればいいと考えます。だから当院では、自然な妊娠経過であるかぎり、助産師外来を中心として。医師検診は、必要に応じて最小限担っています。

最近は、とかく『安全な分娩』ばかりに意識が集中しているように感じます。大事なのは、共感と寄り添い。助産師がいればお産はできる、逆に助産師がいないとお産ができない。そのための安全を医師が守る・・・そういう周産期管理を目指しています。

(ベネッセコーポレーション刊、たまごクラブ2016年3月号より)


もう少しで自然分娩

もう少しで自然分娩

約80%の分娩は、医療介入を必要とせず進行するといわれています。
当院の助産院のバックアップ外来データ(2007年~2009年、1648例)では、約85%の方が助産院で自然分娩されています。しかし、裏を返せば15~20%、つまり5~7人に1人は医療介入が必要であったということです。これは決して少ない確率ではありません。
安心安全な自然分娩は医療のバックアップがあってこそできる分娩なのです。

「自然な経過で大丈夫ですよ」と医療者側が言うためには、きちんと妊娠経過を診ていくことが大切で、私たちは、偶発的な産科異常に対して責任をもって対処しますという意味を含めて、自然分娩を推奨しているのです。
私たちは、不必要な医療介入はしません。基本は助産師の寄り添いの中での自然分娩です。
しかし、陣痛誘発、陣痛促進、会陰切開、分娩台の使用等が必要な時もあります。
医療が注意深く背中をちょっと後押ししてあげれば、自分の力でしっかりと自然に産めることも多いのです。

「自然分娩」「良いお産」等の言葉を聞くと、「医療介入のないお産」と捉えがちですが、もうちょっと緩く考えてみませんか。たとえ帝王切開になったとしても、良いお産はあるのです。良いお産とは、自分の受け止め方でどうにでもなるものなのです。
是非お産を通して、かつて経験したことのないような魂の震える感動を味わってください。

分娩台よ、こんにちは

分娩台よ、こんにちは

先日、助産院から微弱陣痛、分娩遷延で当院に来た初産の方の一例を紹介します。

当院到着時、疲労が重なっていたこともあり、陣痛が来た時にどうしたらよいか分からず、ただ身を固くして捩(よじ)らすだけでした。すでに子宮口が全開大してから8時間以上経過していました。

診察後、子宮収縮剤の点滴を開始し有効な陣痛を確保しました。しばらくして環境に慣れていただき、その後分娩台に上がっていただきました。姿勢を取り、目を閉じて痛みをこらえていたのをしっかり目を開けていただき、助産師の誘導に答えてもらいました。
3~4回陣痛に対して呼吸を合わせる練習をしたのち、陣痛と自分の力でいきむ力を上手に同調できるようになりました。それから数回の怒責でスムーズに児頭が下降し、無事経腟分娩されました。軽い会陰裂傷のみで、赤ちゃんは元気でした。
分娩台を使用する事により、無事に出産出来た一例です。

最近の分娩台はよくできています。ほとんどの分娩体位に対応出来るように設計されています。うまく使いこなせるかどうかは、お母さんと医療者側の共同作業によるのです。つまり、分娩台も時にはお母さんにとってお産を助ける強い味方になってくれるということです。

本当のフリースタイル分娩とは

本当のフリースタイル分娩とは

フリースタイルというスタイルを選択し、そのスタイルに拘(こだわ)ればその時点でフリースタイルではなくなります。もちろん、医療の介入からフリーということでもありません。
私たちがほんとうのフリースタイル分娩をできるようにするということは、多様な選択肢を用意し、お母さん一人一人に合わせて、その分娩経過に臨機応変に対応できるようにしておくことなのです。

当院では、「和室での自然分娩」「分娩台のあるリビングスタイルの洋室での自然分娩」「産科手術管理の必要な分娩」「緊急帝王切開に対応した手術室兼用の分娩室での分娩管理」と、グレードに合わせて対応できるようになっています。

一番楽な体位でお産できることがフリースタイルの良さですが、何が起こるかわからないのがお産です。
自分のお産のイメージを固定化せず、どんなことにも対応できる心のフリーを持つことも大事です。
つまり、自然のお産の流れに身を任せることが、本当のフリースタイルなのかもしれません。

帝王切開分娩の振り返り

帝王切開分娩の振り返り

「助産師の寄り添いの中で自分の力でお産する」そういう意志と、「ここなら目指した分娩ができる」という期待を抱いて、皆様は当院を選んで来院されていることと思います。しかし、分娩はすべて正常な経過をたどるとは限りません。開院して4か月間に6例の帝王切開を行いました。分娩数50例で帝王切開率12%です。助産所からの周産期異常のため医療連携で移行した29例の分娩を含みますので、かなりの健闘かと思います。

でも 帝王切開になったお母さんたちにとっては、この分娩はなかなか受け入れにくいものです。“なぜ私に帝王切開が必要だったの” “もう少し頑張れなかったの”そんな思いが、当院のような産院だからこそ、より強くなるようです。

先生から満足のいく説明がない、との意見もあります。お母さんがブルーなら、そう言われる医師の私もブルーです。でも、私自身そう言われて振り返ると、確かに産後のお母さんにはあまり詳しく説明しません。医学的に難しいことを理論的に説明しても、それは無意味です。解決の糸口を他者に依存して、安易に何か納得のいく理由を求めれば、かえって憎悪の対象を作るだけです。収捨選択しなければいけない問題を増やすことになります。かえって、お母さんを回り道させてしまうことになりかねません。

分娩が済んだお母さんに、今必要なことは、傍らにいる赤ちゃんとの時間に、心から専念することです。これは待ったなしです。帝王切開で生まれて元気にしている我が子を前に、なぜもう少し頑張れなかったのかと悩むのは、少し余裕が出てきてからでも良いのではないでしょうか。お母さんに必要なことは、まずは赤ちゃんに愛情を注ぐことです。お産の振り返りで、それなりの解決にたどり着くためには、時間と思索が必要です。ゆっくりと、じっくりと、落ち着いたときに取り組めばよいでしょう。

ゆっくりとした時間と思索

ゆっくりとした時間と思索

「私のこと」「私のもの」であるお産のあり方が、なぜ私の思うように決められなかったのか。つまり自己決定権になぜ医療介入を受け入れざるを得なかったのか。周産期医療だから考えておくべき問題があります。ゆっくりと、じっくりと思索を巡らすときのヒントとして整理しておきますので参考にしてください。
院内で白衣を着ながら話しにくいのでこの場で記します。

  1. 「私の中のもう一人の私」
    子宮の中にいる胎児も一つの人格ある私です。
    時にはお母さんと赤ちゃん二人の私が衝突します。
    また自分の体の中にある「私のもの」も、父親のもの、家族のもの、そして社会のものでもあります。

  2. 「私のこと」として決めたことはやり直せない、選び直せないことがある
    命が奪われたらやり直しができません。
    健康が損なわれたとき、それを取り戻すことができないこともあります。
    とてもとても重い決断が含まれることもあります。

  3. 「今の私はいつもの私なのか」
    「妊娠中の私」はいつもと違う生理状態、いつもと違う精神状態にあります。
    そのためいつもと違う考え方をしているかもしれません。
    分娩のときは、精神的にも肉体的にも強いストレスに晒されています。
    とりわけ産後は、大きなホルモンの変動の影響を受けています。
    このような時は「いつもと違う私」なのかもしれません。

  4. 「私のこと」「私のもの」が知らないうちに他の人の迷惑に
    たとえば インフルエンザワクチンを接種せずに病気になれば自己責任です。
    しかし、もしそれで 他の妊婦さんにうつしたり、新生児室を閉鎖に追い込んだりしたらどうでしょうか。
    生命倫理における自己決定権は、他人に迷惑をかけない限り侵害されません。
    しかし、生物の多様性・地球温暖化問題など環境倫理は、制約を私たちに求めます。

  5. あなたが「私のこと」「私のもの」と決めたこと、選んだものは不変的価値をもつか
    実は長いひもの端、長い物語の始まりの部分を選んだだけです。
    赤ちゃんを産んで新しい命を育むことは、あなたの命がつながること。
    お産とは、長い時間の流れの中の一瞬の出来事。
    されど遠い未来の出来事もひもをたくし上げればお産に辿り着くことも。
    周産期医療者は 多くの人たちの長い物語を見てきています。
    だから、ときに父性的な愛であなたを叱ったりちょっと冷たいかなというほどに無関心を装ったりします。
    あなたが決めたこと、選んだことの評価には時間がかかります。
    また、この先の成り行きでどのようにも変容を遂げるものでもあります。

まずは 目の前にいる赤ちゃんをたいせつに。
ほとんどの人は、愛の力で癒されます。
本能が、囚われた思いからあなたを解放します。
そして余裕があったら、傍らにいる人たちに目をやり語り合うとよいでしょう。
お産の振り返りは大切です。
安易な回答を求めず、じっくりと取り組んでください。

子供を産むということは、損得の問題だと人が錯覚するのは、子供というのは、自分が産むものだと思っているからである。
唐突に聞こえようが、これは確かにそうなのである。
子供とは、自分が作って、自分が産むもの。
子供を産むのは自分の意志だと、人は思っているが、しかし、これは間違いなのである。
( 中略 )
断じて人間の意志によるものではない。
それは自然の意志というべきなのか、とにかく人知を超えた自然の所産である。
だから、子供を作るのは自分ではない。子供は天の授かりものなのである。

「41歳からの哲学」  池田晶子より

『府中の森土屋産婦人科』の使い方

『府中の森土屋産婦人科』の使い方

これから妊娠生活を送り、出産・子育てについていろいろと考えている皆さんに、当院との上手な付き合い方・利用の仕方についてのヒントをお話しいたします。今までの、周産期に関する寄せ集めの知識はしまっておいてください。そして、自由にじっくり考えてみてください。
次に挙げる主題に沿いながら、話を進めていきたいと思います。

  1. 助産師とのコミュニケーションを大事に
  2. スモールサイズの利点を活用
  3. リスク管理を考える

1.助産師とのコミュニケーションを大事に

いま、妊産婦さんに最も必要なものは生身の人とのコミュニケーションです。

 誰と話せばよいか・・・助産師と話してください。
 何を話せばよいか・・・自分の生活について、妊娠中・産後の子育て中の毎日の生活についてです。
 どのように話せばよいか・・・一人でゆっくりと話してください。
 いつ話せばよいか・・・妊娠中の体調の良い時、そして、産後に目の前に赤ちゃんがいるときです。

  本当に必要な情報は

妊娠を契機に女性は活動範囲が限られ、そのために話し相手が少なくなります。家族や生まれ育った環境から離れていると、身近な話し相手もいません。話し相手の代わりに、インターネットや雑誌、本などを利用されている方も多いでしょう。
近頃はどれも大変よくできていて、多くの情報を提供してくれます。しかし、それから得られる情報・知識は、寄せ集めの断片的なものです。おもちゃ箱のおもちゃと同じです。あなたのお気に入りのものか、一方的にプレゼントされたものばかりではないでしょうか。あなたにとって本当に必要なものなのかを考えてみてください。
本当に必要な情報は、人とのコミュニケーションから獲得します。生身の人との会話がもたらす情報の良いところは、それぞれがストーリーとして繋がっていることです。そして、論理的で因果関係が分かりやすいことです。話の筋を辿っていくと、あなたの抱えている問題にたどり着くことも可能です。妊産婦さんに最も必要な情報は、そのように生きている情報なのです。

  日常の生活について話し合いましょう

これから出産に臨む妊婦のバースプランを拝見すると、そのほとんどは「分娩の方法」と、「赤ちゃんには母乳をあげたい」に集約されます。そして、『~は、したくない。~は、嫌です。』というプランが多いようです。
分娩は長くて二日、たいていの人は一日で終えることで、そのほとんどの分娩が自然の経過で進行し、意思による制御を受け入れることなく進みます。つまり、なすがままに身を委ねるしかないのです。だからこそ、それよりも長く続く妊娠中の生活・子育てに目を向けて考えてみましょう。
自分の意志で、妊娠から家族の成立までの長い期間のライフスタイルを確立することのほうが大事です。まず、聞いておかなければいけないことを、是非、あなたの日常の身近なところから探してみてください。

  女同士でゆっくりと、特に産後が大事

できれば是非一人で、助産師と女同士で話し合ってみてください。話題は自分のこと、そして女性の生理のことです。長い待ち時間でイライラした気持ちの中で、男性医師の顔色を窺っていては話も弾みません。まして、子供がぐずっていたり騒いだりしたら、気になって話どころではないはずです。
とりわけ、大事なコミュニケーションの時期は産後です。産後は女性ホルモンの消退で、精神的に不安定な時期です。目の前には、待ったなしで赤ちゃんが泣いています。家に帰って一人で解決しなければいけない問題は、入院中に少しでも軽減しておくことは大切です。
当院は、妊産婦さんとのコミュニケーションを大事なことと考えています。妊娠中は、助産師外来を利用してください。毎日、二人の助産師が担当します。病棟も担当している助産師たちですから、分娩のことや母乳育児のことなどお気軽にご相談ください。お産の時「外来で話したことのある助産師さんだったので、安心できました」という声を聞くとうれしいです。
夜間は、必ず二人の助産師が勤務しています。お産の時に、助産師が傍に寄り添っていることできっと安心されることでしょう。また、入院中、皆さんが最も助産師を必要とするときは、母乳分泌がまだ不十分で赤ちゃんも吸啜が下手な、産後二日目ごろまでです。
お産の疲れがまだ癒えていないのに赤ちゃんに泣かれているときに、私たちは一対一のコミュニケーションで産後のお母さんを支援します。

  医者の見守りも、実はコミュニケーション

当院ではコミュニケーションを大切にしているため、助産師とのコミュニケーションを勧めてきました。助産師は寄り添いと共感のコミュニケーションを心掛けます。
では、、医者との間はどうなのでしょうか。医者は信頼と協働による、論理的なストーリーの展開と結末をコミュニケーションに求めます。しかし、難しいことを言っても始まりません。私の方法は、医師は妊産婦さんとちょっと距離を置いて見守り、助産師が活躍する環境づくりをすることで皆さんのニーズに応えることにしています。つまり、言葉を使わないコミュニケーションも行っているのです。産後5日くらい経って、退院する頃ジワリと分かってくるものなのです。
是非、お楽しみに・・・。

2.スモールサイズの利点を活用

  なぜ スモールサイズの周産期管理なのか

「皆さんがこれから、出産・育児を迎えるにあたって必要なものはコミュニケーションです。」というお話を前章でしました。皆さんの周りにはインターネットから得られる、断片的な情報と知識が溢れています。しかし、それらは本当に自分にとって必要で役立つ情報でしょうか。
分娩という体験の場は自然の力との対峙です。その時、自分で得た情報と現実との違いに驚き、自分が何も知らなかったことに初めて気がつくことも希ではありません。そんな状況下での精神的・肉体的ストレスは、予想以上に大きいのです。
皆さんに必要なものはインターネットなどを通じて得られる情報ではなく、マンツーマンのコミュニケーションによって得られる、自分にとって本当に必要な『自分のためのお産の話』です。お産の現状に則した情報を医師から提供してもらい、意見を交わす。傍らに寄り添う人(助産師)に、現場で問いかける。そういうことが得意なのが、スモールサイズの周産期管理なのです。

  スモールサイズは自由なお産と育児を行うことができる

皆さんの分娩と育児の取組は個人の問題ですから、自己決定権に基づいて自分の意志と判断で行われることが理想です。そのためには以下の四つのことが必要です。

   一つ、自分のことは自分で決めること。
   二つ、他人に迷惑をかけない限り、行動の自由は守られること。
   三つ、他人から見るとおかしなことでも、自由に行えること。
   四つ、自己決定は、対応能力のある人がおこなうこと。(十分な情報と判断能力のもとでおこなう)

上記に沿って行動できれば、スモールサイズの医療はより自由度が高いといえるでしょう。
しかし自由に分娩や育児を行うことができるといっても、実際に一人で何もかもを決めるのは難しいことです。そんなときに助産師とのマンツーマンのコミュニケーションで、みなさんの分娩と育児をサポートすることができます。寄り添い、共感してくれる人とのコミュニケーションを大事にすることで、より自由なお産と育児を可能にする。それがスモールサイズの医療の利点です。

  スモールサイズに必要なものは何か?

スモールサイズの医療に必要なものは、価値観の多様性に対して視野を広く持ち、寛大さを失わないということです。今の医療は、安全に事故がないように管理することが重要視されています。そういう情勢で、個人の意志を尊重した医療を行うには寛容性が必要です。

次に、必要なものは信頼関係です。
マンツーマンのコミュニケーションには家庭的な信頼関係が必要です。助産師は寄り添い、共感する母親的存在です。だから、医師は敢えて父親役になります。じっと見守り寡黙だが、必要なときには叱ることもあるちょっと怖い存在の父親です。もし、医療介入の決断が下されたとすれば、それは父親的優しさからなのです。

もうひとつが距離感です。
スモールサイズの中に長く一緒にいると、お互いが影響を受けます。そのため、相互依存に陥ったり、感応されたりします。せっかくの自己決定による主体的な歩みが、目指すところが分からなくなって一人では進めなくなることがあります。助産師は共感の役を担い、近くにいます。医師は敢えて皆さんとは距離を置きます。
そして、しっかりと見守り道案内します。

  スモールサイズからビッグサイズへ

私たち≪府中の森土屋産婦人科≫のスタッフは、スモールサイズに自信と誇りを持っています。自分たちが目指すものを大事にし、常に向上心を忘れず、志を大きく持っています。だからぜひ、妊産婦の方々にも自分のお産と子育てに自信を持って下さい。
さらに私たちは、地域に根差した医療を実践しながら、分散した同様のスモール施設とネットワークを組み連携することを目指しています。私たちのような医療施設は小さな点として孤立せず、繋がりながら広場のような存在になる必要があるのです。
最後に、スモールサイズの弱点を知っておく必要があります。それがリスクマネージメントです。
このことは、次回に考察したいと思います。

夫、父、男は何をすべきか。

夫、父、男は何をすべきか。

優しく見守り、ゆったりとした温かい心で受け入れることです。

女性は妊娠中、授乳中には特別な生理状態にあります。これは身体的な変化だけではなく心理、思考、感情や気分まで影響します。そこで男性、父親にとって大事なことは自分との違いをよく理解することです。ジェンダーの違いがもたらす大きな溝が、自分と女性、母親、妻である彼女との間に横たわることを認識することです。
私たちは妊産婦への寄り添い、共感、妊娠子育てを通じて抱える問題を共有する重要性を掲げています。しかし、これは同性である助産師に求められることです。この絶対的な相違の認識について男性は何をすべきなのか。課題の1です。

次に、妊娠、分娩、授かる子供に起こりうる現象、結果は絶対的な事実であります。不測のもの、受け入れ難いものも少なくありません。しかも、その事実を論理的に理解することは難しく、事の発端から結果までの因果関係を明確にすることもできないことがほとんどです。腑に落ちないもの、不条理なものです。私たちは抗うことできずに突きつけられる事実を自然の仕業とか運命の力とか呼んで処理することがあります。神秘主義的立場で個人の心の中で懼れとして処理することもあります。この絶対的な事実の認識について男性は何をすべきなのか。課題の2です。

私が4人の子の父親として、してきたことは、違いを諦めること、結果を受け入れること、そして勇気を出して優しくなることです。ただし、男として父親として、そして、私の場合は産婦人科医としての立ち位置は守ってきました。この距離感は大事です。ちょっとしたハードボイルドなのです。

なぜ今、有床診療所・開業助産師なのか?

なぜ今、有床診療所・開業助産師なのか?

今、周産期医療に必要なものはなにか?それはコミュニケーションだと私たちは考えています。妊娠・出産・育児、それは個人の問題です。したがって、妊産婦は自分のことは自分で決めます。その自己決定のためには、十分な情報と判断能力が必要です。つまり個人の問題であるがゆえに、より情報を持った人とのコミュニケーションが必要になるのです。では、誰がコミュニケーションの担い手なのか?それこそ助産師なのです。助産師の力を十分に発揮できるマンツーマンのコミュニケーションに相応しい施設は、有床診療所・助産所(開業助産師)などのスモールサイズの周産期施設であると考えます。

助産師が職能を発揮するには、スモールサイズの提案をしましたが、そこには安心できる医療連携の枠組みが必要です。そこで、そのような助産所と有床診療所が連携することにより安全の枠組みが構築できれば、それは限られた周産期医療資源の活用に通じる新しい集約性が提案できる思っています。

スモールサイズの周産期医療を支える為に必要なものがリスク管理であり、リスクマネジメントの基盤ができばスモールサイズでも妊産婦に寄り添い共感のコミュニケーションに基づく周産期管理ができるのです。スモーサイズにも問題点はありますが、良いものなら問題点をクリアして広くの人に利益を供与したいと思うのです。